202号室  長塚聖 目が覚めると俺は泣いていた。 俺はのろのろと起きて、携帯のディスプレイに目をやる。 まだ少し起きるには早かったが、携帯のアラーム機能を止めて立ち上がる。 それから脱衣所に向かい、寝巻きを乱暴に脱ぎ捨て バスルームに入る。 こんな朝は決まって熱いシャワーを浴びる。 俺はここ最近似たような夢を見ている。 夢の内容は、俺が好きな子が、俺を庇って死んでしまう夢だ。 しかもやけにリアリティに富んでいるからたまったものではない。 更に困った事に、その子の前でどうも落ち着きがなくなっているので困る。 朝食を簡単に済ませた後は、少しゆっくりと身支度をした後、部屋を後にした。 今日は休日だったはずなのだが、急ぎの仕事が入り、俺だけ休日出勤。 急に仕様を変えたいとクライアントがメールをよこしてきたのが、昨日。 人の休日をなんだと思っているのだか…… そうぶちぶちと文句をいいつつも、仕事は仕事なので仕方がない。 それから、事務所についてからは延々と修正作業を行う。 ある程度纏まったところで、新しいデザインをクライアントにメールで送付する。 時計を見るといつの間にか昼過ぎになっていた。 一度昼食を摂ろうと席を立ち上がった時、事務所のドアが開いた。 そして事務所に入ってきたのは、あろうことか俺が好いている子だった。 「あ、センパイ、こんにちわ」 彼女はにこっと笑顔を俺に向けた。 俺は一瞬、驚いて思考が止ったがそれも一瞬だ。 「ああ、どうしたんだ?今日は、聖ちゃん休みだろ?」 そう、彼女、山元聖(ひじり)は、俺の名前の聖(さとる)と字が同じなのだ。 これも何かの糸なのだろうか。 (って何変な事を考えてんだ、俺は) 「そうなんですけど、朝から携帯がみあたらなくてですね、ここに忘れたんじゃないかと思いまして」 「そうなんだ」 そう返事をする前に、既に彼女は自分のデスクで目的のものを探している。 しかし見当たらないのかがさがさとせわしなく動いている。 「無いのかい?」 俺は心配というほどでもないが、社交辞令的にな問を投げた。 「は、はい。忘れたとしたらここしか覚えがないんですけど……」 彼女は心底困ったという顔をしている。 こういうのは焦ったら余計見つからない、ゆっくりと最後に携帯を使った所を思い出さないと。 俺は彼女を食事に誘おうと、声をかけようとした。 が、その言葉が上手くでてこない。 心臓の鼓動が少し早まった気がした。 (たかが食事に誘うくらいどうって事ないだろうが!) 「あ、聖ちゃん」 「はい?」 彼女は探す手を一旦止めてこちらに振り向いた。 「昼だし、一緒に飯どう?探し物する時は落ち着いて思い出したら見つかりやすいっていうし」 彼女はきょとん、とした顔をしていた。 (ん、やっぱり変なのか?いや、別に変なわけないだろうし……) が、彼女の顔はきょとんとしていた顔から、みるみる嬉しそうな顔へと変っていく。 「はい、ご一緒させて下さい」 俺はそのあまりに嬉しそうな笑顔に、自分の顔まで少し綻ぶのがわかった。 「あ、ああ、じゃあ行こうか」 (やっぱりあれはただの夢なんだ、きっとそうに違いない) そうして俺と彼女は少し遅い昼を食べに向かった。 そして今はこうして彼女と一緒に飯を食べているわけだ。 彼女は嬉しそうに最近あった出来事などを俺に喋ってくる。 俺は聞き役に徹しているが、つまらないという事は全然なかった。 むしろ好きな子が嬉しそうに俺に話しかけてくれるだけで、俺の心は満たされている。 が、気が付くと彼女からの会話が途切れ、何やら赤くなって下を向いている。 「どうかした?」 俺は声をかけてみるが彼女は俯いたままだ。 (ど、どうすりゃいいんだ……) 突然のなんとも先行き不安な気配が漂う。 暫く沈黙が続き、俺は場の雰囲気を紛らわそうと彼女に話しかけようとした。 が、ふとその言葉が、喉から出掛かる前に飲み込み、別な言葉が出てきた。 どうしてその言葉が出てきたのかはわからない。 でもその言葉はまるでタイミングを計っていたかのように、この世に生を受けた。 「好きなんだ」 「好きなんです」 同時告白。 俺の頭は完全に思考が停止、それはおそらく彼女もだろう。 時間にしてどれ程経過した頃か、ようやく思考回路が回復してきた。 「え……っと」 「あ、その、あの……」 俺には見えないが、きっと今ものすごく俺の顔は赤いと思う。 彼女に至っては林檎のように頬が紅く染まっている。 まさか、両想いだったとは夢にまで見なかった展開だ。 (嗚呼、でも、あの夢は……そうか……) きっとあの不吉な夢は、じれったい態度の俺に業を煮やした俺の頭脳が見せた夢なのかもしれない。 もしこんな風に彼女に想いを告げる前に別れてもいいのか!、と。 好きだけど、どこかでそれを言う踏ん切りができなかった俺。 そんな俺を、俺の体は俺の背中を押してくれたんだろう。 最初の一歩を踏み出す為に、踏み出さなければ何も始まらないんだぞ、と教えてくれたような気がする。 と、かなり都合のいい解釈だが、今はなんだかそんな気がしてならない。 きっと、あのような夢を見なければ俺は遠巻きに彼女を見続けるだけだったかもしれないし。 「ま、まぁ、なんというか、改めて、よ、宜しく……」 ぎこちない口調でそんな言葉が俺の口から弱弱しく漏れた。 そんな彼女は事務所で会った時よりも更に眩しい笑顔を俺に見せてくれた。 初恋は実らないというが、たまにはそんな予言も外れるようだ。 肌寒い夏が終ろうとしていた─────────────