301号室  結城冴子 「何やってんだろう…あたし」 帰ってきて早々そんな言葉が漏れる。 いつからこんな嫌な奴になっていたんだろうか? 私はいわゆるキャリアウーマン。ただのOLでは終わらない出来る女。 子供の頃から夢見ていた出来る女。男なんかには負けない! そう…昔から男勝りでいつも男の子達とばかり遊んでは喧嘩もした。 でも、力の差で結局負けちゃうんだけどね…。それが悔しかったのかな? 今となっては会社の中でも一目置かれる存在になっている。それでも課長ってだけなのだが…。 私が求めているのはこんなところじゃない。もっと上を!もっと上を目指すんだ、冴子! でも、どこかで間違った方向に進んでいたのかもしれない。 昔は部下達からも慕われる存在でいれたはず。それなのに…。 あれはいつのことだっただろうか?私というイメージを大幅に変えてしまう事件が起きた。 「結城課長ー。朝渡された書類やっと出来ました〜」 彼女は進藤あゆみ。いっつもボケっとしていてとろい。この通り仕事もまともに出来ない駄目なコだ。 でも、何故か助けてあげたくなるような、そんな憎めないコなのよね。 「はいはい、あゆみにしては早い仕事ね。お疲れさま」 課内の男達も自分の仕事そっちのけで彼女をアシストしている。ある意味アイドル的存在なのかもしれない。 「いえいえーみんなのおかげですからーありがとう、みんな〜」 そう言ってあゆみは周りを見渡す。今、まさに自分の仕事に追われる男達が手を上げ、それに応える。 「えへへ♪それで課長、まだ仕事残ってますか?私がやっておきますよー」 満足そうに笑うあゆみ。こういう仕草に男は弱いのね、なるほど。メモメモ…ってちがぁーう!! 「別にいいわよ。今からじゃあ、あなたに頼んでもあなたも周りも終わらないでしょ。 あ、そうね。とりあえず明日朝一の会議で使う書類、コピーしといて。至急よ」 簡単な仕事でもこうして釘を打っておかないとどうなるかわからないのが彼女の仕事ぶりだ。 「はい、わかりましたー!しゅたっ!」 自分で効果音をつけて敬礼してみせるあゆみ。なるほど、こういう仕草が…(以下略) 「はいはい、転ばないようにね…『きゃあッ!』」 …って、アンタは言ってる側から転ぶのかい!まったく悪い意味で期待を裏切らないコだ。先が思いやられるわ。 仕事の終わりを告げるチャイムが鳴り響き、家路につく人々。そんな中、私はあゆみを待っていた。 「か、課長…」 暴漢にでも襲われたのかというくらいボロボロになって帰ってくるあゆみ。まぁ、いつものことなので気にはしない。 「はいはい、お疲れさま。後は私がやっておくから書類はそこに置いて帰っていいわよ」 「え、えぇと…そ、それが…そ、そのぉ…」 やけに歯切れの悪い返事。たかが書類のコピーぐらいでどうしたっていうの? 「なぁに?せっかくコピーしたのに山羊にでも食べられたっていうの?」 「えぇと…山羊には食べられていないですけど、ちょっと近いかもしれません…」 山羊に食べられたのが近い…?はっ!まさかとは思うけど…。 「アナタ、もしかして…コピーしようとしてシュレッダーにかけたの…?」 「は、はひ…」 子供のように泣きじゃくりながら答えるあゆみ。あぁ、本当にシュレッダーにかけたのね…。 「うん、もう良いから帰っていいわよ。後は私が何とかしておくから」 「で、でも…」 「でも、じゃないの。アナタがいたんじゃ今から書類を作り直すことも出来ないわ」 本当にこのままいられても困るので、ちょっと強く突き放しておく。 どうせ彼女のことだから明日には忘れてるだろうし、大丈夫でしょう。 「は、はい…それじゃあコーヒーだけでも淹れていきますね…本当にすみませんでした…」 「えぇ」 さてと、それじゃあ始めるとしますか…。 …翌朝の会議は散々上からくだらない説教を食らっただけで終わった。 書類のバックアップがされていなかったために一から作らなければならず、結局間に合わなかったのだ。 『これだから女如きには任せられんのだよ。お茶汲みからやり直したらどうだい?』 『そんなだからお見合いも失敗したんだ。わははははは――――――』 今、思い出しても頭に来る。何であたしがあんな古狸達に馬鹿にされなきゃいけないの? 大体、お見合いは最初から振るつもりだったのよ。あームカツク! そもそも悪いのは書類を台無しにしてしまったあゆみであって、私はそれを何とかしようと自分の時間まで削ったのよ。 「あの…課長、昨日は…」 あゆみだ。顔を見ているだけでもイライラしてくる。 「そうよ、アナタがあんな失敗しなければ私はねぇ!あ…」 その場が凍りつく。今まで聞こえていた会話が一斉に止まる。嫌な空気だ。 何を言ってるんだ、私は?何もこのコに当たることはない。 「あ、いや…」 上に立つものは下の失敗をカバーすることが一番の仕事じゃないのか? 「…」 あゆみは無言のままその場から足早に去っていった。 そこで課内一番のムードメーカー田中が口を開いた。 「課長、ちょっと言い過ぎじゃありません?今日の課長、何か変ですよ」 ふ、そんなこと言われなくたって一番私がわかってる。今日の私はおかしい。 「えぇ、そうかもしれないわね…」 それでも私はそこで引き下がることが出来ない弱い女だ。はぁ…。 そう、この時から私は徐々に近寄りがたい存在へと変わっていった。 あんなことを言った手前、引き下がることが出来なかった強がり。 そんなことを思い出し、気付いた頃には涙が零れていた。もう強い女を演じるのも疲れたよ……。 昨日泣き疲れて気付いた頃には寝てしまっていた私は急いで今日の支度をしていた。 今日こそは誠意を持ってあゆみに謝ろうと思う。彼女のことだ、きっと許してくれるだろう。 「よぉーし」 今日も自分に気合を入れて出社する。でも、今日の私はあの日から変わってしまった私とは違う。 また元通りの自分に。いや、今まで以上に心が強くなったのだから。新しい私に…。